
SOSAKUBAGのタグには、色の名前、編みのデザイン、染料と材料、シリアルナンバーの他に、短いことばが添えられている。
コピーと呼ぶには長すぎて、ボディコピーと詩の間のようなものだ。
バッグに情景を描くことと同じくらい、
ことばの部分はとても大切にしている部分だ。
・・・・・
大学の終盤はコピーライターやプランナーを目指していた。
小説家→映画監督→プランナーとピボットしていったはずなのに、大学の終わりになったらまた文字の世界が気になってしまった。
オギーに出会ったのは、まさにそんな時だった。
新卒で入った会社のインターンシップで出会った彼とは、
一緒にビジネスコンテストを戦い、銀杏BOYZのライブに行った仲だ。
そんな彼は今は出版社の編集者として働き、
一時期はフリーライターとして雇ってもらったこともある。
知人と呼ぶには軽すぎて、親友と呼ぶにはちょっと恥ずかしい、戦友のような存在だ。
僕はオギーがきっかけで、ことばを仕事にするのを諦めることにした。
オギーとは人と会うよりも前に、コピーで出会っていた。
ある日のブレーンの雑誌に載っていたのだ。
それは競歩をメジャーへと押し上げるためにピーを募集した学生コンテストで、最優秀賞のオギーのコピーが載っていたのだ。
世界一速いカメを、決めようじゃないか。
印刷会社のインターンシップの打ち上げ飲みで、
銀杏BOYZの話で大いに盛り上がっているその人こそが、あのコピーを書いたその人だったのだと気がついたときの衝撃は忘れられない。
それから一緒にビジネスコンテストを応募しているときに、
彼がことばを生み出すために恐ろしいほどの量の時間をかけていることを知った。
宣伝会議賞の応募のために書いていたコピーの候補数は、僕の10倍を超えていた。
才能とは生まれ持った能力の他にも、
持続力というものがあるのかもしれないなと思う。
僕は映像が撮れるし、文章も書けると思っていた。
ただそれはゲージがたっぷり溜まっているときだけで、
一度使い果たしてしまうとなかなか回復しない。
僕は書き続けることができなかった。
頑張っても、書けないのだ。
のちに僕は新卒で入った会社で、
新規アプリの名前と、コピーを書いたのだけれど、
それが精一杯。ゲージは空っぽ。
僕にはことばを操る仕事はできないと諦めていた。
そんな自分が、色を染めたバッグを手にした時、
書きたい、と思ったのだ。
バッグと出会った時に、出てきたことばは
コピーにするには長すぎて、ボディコピーと詩の間のようなものだった。
定義はできないのだけれど、これがものすごく自分にフィットするもので、これなら書き続けると思えるものだった。
これはもう、湯水のように出てくる。
コピーを作るのがあんなに苦しかったのに。
勝手につけて書いているものなので、あのことばに対して、明確に誰かにフィードバックを受けたことがない。
あれ全然良くないですよと言われたら、悲しいなと思いながら、フォントのサイズを小さくして、それでも続けてしまうような、書かずにはいられないものなのだ。
バッグがあって、ことばが生まれたのではない。
ことばがあって、バッグになったのだ。
数年ぶりにオギーに会って、バッグをプレゼントした。
後日彼と一緒に飲んでいると、そのバッグを元に、大切な祖母に手紙を書こうと思ったんだよと教えてもらった。
その手紙を送ったすぐあとに、祖母は亡くなってしまったらしく、あのバッグのことばがあってよかったと話すオギーを見て、しみじみと思った。
人を動かせることばになっていたんだ。
そのことばで、自分の描いているものが間違っていないと思えた。
あとで彼の選んだバッグのタグを読み返してみると、
オギーから送られたことばのようだった。
ぼくも
それぐらい
しぶとく
夢のある人生に
しがみついていたいね
2025.9.2