2025/08/31 22:24

今日は僕の人生からどうやってバッグが生まれていったのか。そのきっかけを綴っていきたいと思います。

SOSAKUBAGにを作る上で最も大切にしていることが「US」であるか、ということ。
「US」という言葉は、ケイコさんという女性に教わった言葉です。

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2009年、浪人をしながら山小屋で住み込みバイトをしていた僕は、よしもとばななさんの「サウスポイント」という本を読んだ。
ハワイ島サウスポイントを舞台に繰り広げられる恋愛小説で、他の著書と比べると特段取り上げられることも少ないその本に、僕は強く魅了された。
映画監督を目指すんだ。山小屋のバイト代で業務用カメラを買って、舞台になったサウスポイントの夕日を撮りに行こう。

勢いだけでハワイにやってきた19歳の子どものような自分がようやく見つけた宿が、サウスポイントからほど近くにあったサウスポイントホステルという宿。

その宿はタンジェリンという柑橘の農家をやっている夫婦が、雇い人の宿舎を改装して営んでいる宿で、その奥さんがケイコさんだった。

車もない。ハワイ島の観光地も知らない。サウスポイントの行き方さえ分からない。そんな僕のことを少し呆れながらケイコさんは車でコナの街を案内してもらい、毎晩夕食をごちそうしてくれた。
サウスポイントやアップルバナナ。僕のバッグの名前にたびたびハワイの記憶が登場する。画像のいくつかは2009年に撮った写真たち。若くて恐れを知らない、恥ずかしい顔をしている。

それから9年経って、僕とFUUROは世界一周旅行の終盤にもう一度ハワイ島を訪れた。
浪人生で止まっているケイコさんの記憶に、大学合格発表と内定報告と結婚と、世界一周をしていることを伝えたくて。

ところが、宿のあった場所は荒れ果てた藪へと変わっていた。ケイコさんと旦那さんが経営していたタンジェリン農家は盗難の甚大な被害を受けて破産していて、夕食を御馳走してもらった自宅には見たことのない家族が住み、怖そうな番犬が僕を睨んでいた。

もう会えないかもしれないと思いながら必死に連絡先を探し、どうにかハワイ島に滞在している間にケイコさんと再会する約束を取り付けることができた。
とても嬉しかったけど、同時に怖かった。

僕はタンジェリン農場の脇にある立派な邸宅の建設現場を見せてもらったときのことを思い出していた。2階建てで、農場が見渡せる二人の夢を形にしたようなその家は、タンジェリンの大規模盗難が多発するようになって工事が止まり、作りかけの邸宅の天井には、見たことのない大きさのハチの巣ができていた。

9年が経ち、夢が破れ、住まいを追われ、僕の輝いている記憶の中のケイコさんはもういないのかもしれない。そんなことを危惧しながら、日本のそれとは似て非なるデニーズで、ケイコさんは僕達に言った。

「USで生きなければならないの」

その眼差しは昔と全くも変わっていない。強くて、美しかった。

「家族の括りで仕事をすれば、大丈夫なの。大丈夫なのよ。だからUSで生きなさい」

ちっとも自分の人生にやられていない。旦那さんと次はこんなことを始めようと思っているのとハキハキとしゃべるケイコさんを見て、USこそが僕の求めていた生き方なのかもしれないと思った。

小説家、映画監督、広告宣伝など、色んなことを夢見て、経験していくなかで少しずつ積み重なっていったもの。
それは、僕じゃなくてもいいんじゃないか、という思いだった。

器用にやれば生きていけそうな、お金を稼ぐのはなんとかなりそうなことはある。
でも、僕にはそれを続ける勇気はなかった。自分が死んだときに、これで本当によかったのかと自問自答しながら逝きそうで。

母のやっていた染色も、父のやっている金工も、僕の中で消化されていても、昇華はされていない。
妻の活動を僕は宣伝するだけでいいんだろうか。そんなことが漠然と頭にあったから、せめて手を使った仕事をしようと、花火師になることだけは決めていた。

そんななかに、ケイコさんから教えてもらった「US」は、とても自然に入ってきた。

USとは、相手のことを自分のように想い、生きていくこと。
家族というくくりのなかで無理のない、本質と思えるものを生み出していくこと。
つくることで生き、生きることでつくっていくこと。

僕とFUUROはその日に、ケイコさんの言うUSを自分たちなりの想いに変えて、これからの生きる指針を”US”と呼ぶことにした。

世界一周を終えてから、僕たちはUSという名前の本を作った。少しずつUSという概念を形に、仕事にしていこうとしてきたけれど、それがどれだけ難しいことか、やってみて実感することが多かった。

嘘がつけないのだ。理想がそのまま生活に直結するとは限らない。そのバランスが難しくて、僕とFUUROは一度これ以上ないというところまで落ちこんだこともあった。

SOSAKUBAGは、理想と現実に押しつぶされ自信をなくした地獄のような日々の中に、藁をすがる想いで手を伸ばした先にあった一筋の光だった。今その光が形になり、こうして日々を作っていることが、救いだなと思う。バッグを編めば編むほど、それはUSに近づくのだと信じている。

2025.8.29